鬱っぽいので早く病院に行かなきゃってわかってたけど大丈夫って思いたかった
新卒二年目くらいに、うつだと思われるものを経験した。
そりゃ家に帰っても二時間睡眠で、始発から働きに行って、終電以降にタクシー生活してればそりゃあなるよねえ、うん。
会社で36協定とか説明されてもなんのことか一切わからなかったよ、今思っても笑
その頃はうつとかの知識なかったけどね。
たまたま付き合ってた彼氏がうつだったのでうつを知った感じ。
多分ちょっと引っ張られてうつになった気もする。
その時は23歳で飲食店の店長をやっていて、
昇格も同期で一番、上司からの評価もおそらくとてもよかった。
でもだんだん疲れてきたんだろうね、
「賞味期限切れのものがお客様に売られて、大クレームになったらどうしよう」
とか
「責任が重すぎる」
とか、単純にものすごく、人間として受け入れがたいお局スタッフがいたりと。
だんだん仕事に行きたくなくなってきて(サボったことは店が回らないのでない)
そしたら本当にリアルに行けなくなってきた。
39度の熱が出るような溶連菌やらなんやらに月数度かかり、仲良くしてもらってた近隣のお店からのヘルプをお願いしていたけどそれも限界があるよね。
完全に体が弱ってた。
気づくとカッターを買って、お店でリストカットしたりしていた。
ざっくりは行けなくて、ちょっと傷ついたくらいだったので既に跡はないけど。
そしたら、めっちゃお世話になってる上司と、おそらくもっと偉いであろう見たことのない上の人が来て「休職する?」って聞かれて「できれば休みたい」と素直に言った記憶がある。
正直あんまり覚えてないけど。
その頃の記憶があまりなくて、確か胃がめっちゃ痛かった。そして多分毎日辛くて辛くて、ぼーっとしていたと思う。
いつか書こうと思うけど、「多嚢胞性卵巣症候群」という診断もでた頃で、
(簡単にいうと不妊症で子供できないかも的な)女性として生きていること、もっと言うと生きていることがだんだん嫌というか不安というかそんな感じだったと思う。
今もたまに思うけど、世界が一斉に消えたらいいのにと。
生きてるのがめんどくさいな、みたいな。
と言うわけでその後一年くらいはほぼ社会からドロップアウト状態。
実家にいたので傷病手当金でなんとかやってた感じでした。
・・・・ということもあって、2度と痛い目見たくない!!!!!
ので、ちょっと変な時は適当に会社休んだり、家事も何もやらない宣言とかしてたし。でも、どうにもこうにも今回は行かなかったらしい。
症状が出て来たことを自覚してたのに、休めない、病院行けない日々が続いた。
そして大丈夫とも思いたかった。
でもダメだったわ!!!笑
症状については次のエントリにて。